
ハヴリエル・メツー 「朝食 」56 x 42cm エルミタージュ美術館所蔵 1660年
ハヴリエル・メツーは、オランダのライデンに移り住んだフランドル出身の画家、ジャック・メツーの息子です。
ハヴリエルは、後にヘラルト・ドウの弟子になります。
ヘラルト・ドウはレンブラントの弟子、レンブラントはピーテル・ラストマンの弟子…。
と、美術の世界は驚くほど技術が引き継がれています。
それぞれの個性を上乗せした上で弟子に継承されていきます。
さて、今回の主役はハヴリエル・メツーです。
メツーは、世界的にレンブラントほど知られていませんが、古典的な技法を継承しつつ精密な作品を残した画家です
ハヴリエル・メツーはあまり資料が残っていないので不明な点も多いですが、ヘラルト・ドウに弟子入りする前に父親に絵の描き方を教わっていたようです。
画家組合の記録によると、メツーは1650年から1652年にライデンを離れています。
一時はおそらくユトレヒトで過ごしたんだと思います。
その後、1650年代のライデンの卓越した風俗画家ヘラルト・ドウに弟子入りをして、室内描写を専門的に扱うようになりました。

ハヴリエル・メツー 「手紙を書く男」1665年頃
その後の作品は、ピーテル・デ・ホーホやフェルメールなどの影響を感じさせる作品も描いています。

ハヴリエル・メツー 「食卓の男女」 35.5×29.0㎝ アムステルダム国立美術館所蔵 1655年-1658年
メツーの作品「食卓の男女」です。
今回はこちらの作品を考察していきます。
男女がテーブルで食事をしていますね。
真っ暗で食べにくそうだな…。
と感じるかもしれませんが、これはキアロスクーロという大胆な明暗を使い、明暗のコントラストでドラマチックな演出をしています。
画面の暗さはさておき、この作品では平穏な生活の一場面が描かれていますね。
画面右側の女性が男性を見つめて、当時一般的だった「フルートグラス」に飲み物を注ぎ足そうとしているようです。
この左手に持っているフルートグラス、ものすごく長いですよね。

僕はお酒は一切飲まないので詳しくありませんが、現在でもフルートグラスは存在していて、ワインやシャンパンを飲むのに使われるようですね。
でも、ここまで長いフルートグラスは現在はあまり無いと思います。
身なりを考察すると、彼女はおそらく召し使いです。
写真ではわかりにくいですが、青いエプロンを身につけて、小さな財布と貯蔵室の鍵を紐で腰に吊るしています。
注目するべきは、彼女の顔にあるこの黒いもの。
これは付けぼくろです。
付けぼくろは女主人が使うものでしたが、召し使いの間でも流行しました。
何が流行るか分かりませんね。
次は画面左側の男性を見ていきましょう。
パンが乗った大きなお皿を左手で掴んでいます。
パンがひとつお皿からこぼれ落ちていますね。
右手はテーブルの端にあるグラスを掴もうとしているようですが、彼女に不意をつかれたのか、その手はどこかぎこちない様子です。
ハヴリエル・メツーは水差しで飲み物を注いだり、水差しを持ったりする召し使いを伴い、室内で戯れる恋人達を数多く描きました。

ヤン・ステーン 「愉快な家族」1668年
このユーモアに溢れた情景は、当時ライデンで大人気だった画家ヤン・ステーンの作品に見られるものです。
メツーはヤン・ステーンを知っていたのだと思います。
メツーの作品に見られる物語的要素などはステーンの影響があるとみて良いでしょう。

テル・ボルフ「農民の恰好をして座っている少女」1650-1660年
また、顔の描写や男女の髪の毛における柔らかな筆使いは、テル・ボルフを思わせます。
メツーは作品を観る限り、おそらくテル・ボルフにも影響を受けていると思います。
当時のオランダには優秀な画家が数多くいたので、様々な画家から影響を受ける環境にありました。
とても羨ましいですね。
メツーが制作したとされる約150点の作品の多くは年記が記されていないので、彼の作品の制作された年代を特定するのは、かなり難しいようです。
現在では科学的なアプローチによって、明らかになった事もありますので、これからどんな事実が解明されるのか楽しみにしています。
黒猫の美術教室 トップページへ戻る