「ドガ」と聞いて、まず何を思い出されるでしょうか?
何も思い出さない?
あまり聞き慣れない言葉ですよね。
そんなあなたも大丈夫です。
ドガとは、画家の「エドガー・ドガ」のことです。
子供や初心者の方にも分かりやすいように、今回はドガについて深掘りしていきたいと思います。
ドガの作品と共に、生涯についてもみていきましょう。
長くなりますが、どうか最後までお付き合い下さい。
エドガー・ドガとは
エドガー・ドガは1843年7月19日、パリのサン=ジョルジュ街に生まれます。
本名は、「イレール=ジェルマン=エドガー・ド・ガス」です。
皆「ドガ、ドガ」と呼びますが、正確には「エドガー・ド・ガス」です。

大人気漫画「ワンピース」の海賊王ゴールド・ロジャーが、ゴール・D・ロジャーだった事に似ていますね。
脱線してしまいました、、
ごめんなさい。
ドガの祖父「ルネ=イレール・ド・ガス」は、フランス革命の動乱期にナポリに逃れ、そこで事業を成功させて銀行を創設しました。
ドガの父親は、創設した銀行のパリ支店の支店長で、美術と音楽の愛好家だったそうです。
フランス革命当時はとても裕福だったそうですが、ドガの生まれた頃にはさほど裕福ではなかったと言われています。
といっても、一般家庭よりは裕福な暮らしをしていたはずです。

1845年、ドガ11歳の頃 フランスのパリにある古い歴史をもつ公立の後期中等教育機関ルイ=ル=グランに入学します。

1852年、ドガ18歳の頃 リセを修了します。
この頃、デッサン・コンクールで一等賞を取ったそうです。
ドガは早くから恵まれた環境の中で、美術に興味を示しデッサンを学んでいました。
ドガといえばデッサンですが、その基盤はこの頃に作られたのですね。

《自画像》1854~55年頃 カンヴァス 油彩
作品画像はドガ20歳~21歳の頃です。
ドガの祖母はナポリのイタリア人ですが、どこかその血を感じさせます。
こちらを見つめる目はとても冷静ですね。

《テレーズ・ド・ガの肖像》1863年 カンヴァス 油彩
「テレーズ」はドガの妹です。
この作品が描かれたのは婚約期間中だったといいます。
ドガの自画像と目がそっくりですね。
兄妹そろって冷静な眼差しです。
テレーズを画面中央から若干左にずらして、窓を描く事により奥行きを与える空間処理をしています。

《若い婦人の肖像》1867年 カンヴァス 油彩
こちらの作品は27×22センチと小さい作品ですが、ドガの最も有名な作品のひとつかもしれません。
目、鼻、耳、口など個々の造形の的確さは、ドガの見事なデッサン力を示していますね。
これを描いたのは33歳の頃ですが、既に古典的美術の境地に達していたのがうかがえます。
ちなみに、モデルは諸説ありますが、明らかではありません。
美人です。
普仏戦争

1870年ドガ36歳の頃、人生における大きな出来事があります。
普仏戦争(ふふつせんそう)がおこります。
普仏戦争の間、ドガは国民軍の砲兵隊に入隊します。

しかし、その従軍中に寒さのために目をおかされ、右目の視力が衰えていきます。
これがドガの生涯、作品において、大きな影響を与えます。
視力の低下から、徐々に油彩を放棄してパステルを使って描くようになっていきます。

《ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場》1872年 カンヴァス 油彩
こちらはドガ38歳頃の作品です。
ドガを一般的に有名にしたのはバレエの絵でしょう。
やはりドガといったら踊り子ですよね。
数多くある踊り子を描いた作品の中で、まずはこちらの作品をご紹介します。
とても構図が秀逸で工夫されています。
この作品は4つの部分に視点が分けられています。

1・左前で稽古を受けている一人の踊り子

2・その奥にいる三人の踊り子

3・右中央にいるおじさん二人(バレエマスターと楽士)を中心とする群像

4・最後に中央下にある椅子

これらを線で繋ぐと四角い部屋の中で、一回り小さい四角を作っていることが分かります。

さらに足を広げている踊り子を線で繋ぐと三角形です。
構図的にとても面白いです。
鏡で空間を広げているのもポイントです。
こういった部分をあれこれ紐解いていくのも、美術の楽しみ方のひとつです。
印象派展
ドガは、ただ一回を除いて、印象派展に毎回出品していました。
印象派展の重要メンバーであったドガですが、ドガが印象派と聞くとどこか違和感があります。

印象派の画家達は屋外で【光】のたわむれという瞬間をとらえる事に熱中したのに対し、ドガは室内で【運動する対象】の瞬間をとらえる事に熱中していました。

《スター(舞台の踊り子)》1878年 紙 パステル
例えばこちらの作品。
華麗な舞を開始した踊り子のやや膝を曲げて前に傾いた体と、バランスをとっているかのように左右に開いた手の一瞬の【運動する対象】をとらえていますね。
光の一瞬をとらえる事よりも運動の一瞬をとらえる事に熱中したドガが印象派展に所属していたのは不思議ですよね。
先程少し触れましたが、印象派の画家達は好んで外で絵を描きました。
しかし、ドガは外で絵を描くのは大っ嫌いでした。

ある母親とドガのエピソードをご紹介します。
ある母親「私のところに上手に絵を描く子がいますの。まだ15歳にもならないのだけれども、とても自然に忠実でしてね!」
ドガ「15歳?それでもう自然に忠実だって?いや奥さん、あなたの子供は絵に向いていませんよ。」
ある母親はもちろんムッとして腹を立てます。
しかし、ドガは続けます。
ドガ「まず1にも、2にも大家の模写をするべきですよ。ひとつの風景画を立派に仕上げるのも結局室内(アトリエ)以外にはないんですよ。」
ドガはあくまでも古典絵画を軸としている為、室内で描くスタイルや考え方もその時代の絵描きと同じなのでしょう。
ある母親は、美術の基本をすっ飛ばして自然に忠実だと言った。
これが、古典主義的な考えを持ったドガには理解出来なかったのだと思います。
こんなドガが印象派展の重要メンバーとして活動していたのは、不思議でもあり、考え深いものがあります。
ドガは女性嫌い?
長くなってきたので、ここで少しブレイクです。
ドガは女性嫌い?といわれる事があります。
それは、生涯独身であった事、またドガの描く女性の顔は美人とはいえない独特なお顔をしている事が理由でしょう。
生涯独身…。
僕も死んだら女性嫌いと言われてしまうのでしょうか…。

気を取り直して、ドガの描いた女性をまとめてみました。
…なんというか、お猿さんのようなお顔をしていますね。
しかし、ドガは決して女性が嫌いだからそのように描いたのではないと僕は思います。
表情に対しては、あまり興味がなかったのではないかと。
顔よりも、筋肉や肉体の一瞬の動き、造形に興味があり、それ以外は無関心だったのだと思います。

数は少ないですが、ちゃんと綺麗な女性も描いています。
さて、ここでひとつ ドガと女性にまつわるこんなエピソードをご紹介します。
画商アンブロワーズ・ヴォラールとドガの会話です。
ドガはある日突然ヴォラールに言います。
ドガ「人間は独身で生活できるようにはできていないと痛感したよ…。ヴォラール、結婚しなきゃいけないよ。」
ヴォラール「…いやいや、ドガさん。それじゃあ、あなたはどうして結婚されないんですか?」
ドガ「ああ、私の場合は違うよ。例えば私が一枚絵を仕上げた時に『まぁ!あなたのその絵、なんて綺麗なんでしょう』などと細君(奥さん)に言われでもしたら、たまったもんじゃないからね!」
…。
…意味わかんないよドガ。
このように大分こじらせた考えを持ったドガは、生涯独身を通しました。
視力を失っていく中で

《ダンスの試験》1880年頃 紙 パステル
1870年に普仏戦争で従軍、寒さにやられて視力が悪くなり、80年代になって視力はますます衰えていきます。
この作品は試験が始まる前の緊張した一瞬。
その心理的な圧迫の中で、踊り子は振りを確かめたりタイツを直したりしています。
床を急な傾斜に描く構図は、ドガの得意とする緊張感のある情景を助ける一役となっていますね。

《青い踊り子たち》1890年頃 カンヴァス 油彩
視力は低下し、ほとんど盲目に近い状態になります。
ドガは暗闇の中でも筆、パステルを握り続けます。
かつての鋭く的確なデッサンの線に変わって、太く途切れがちな線が画面を構成しています。
1917年、9月27日、死去。モンマルトルの墓地に埋葬されます。
徐々に視界を失っていくのは、絵描きとしてとても怖かったでしょう。
それでも絵を描き続けたドガは絵描きとして立派ですね。
強い絵描き魂が感じられます。
ドガ、とても尊敬します。
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