カレル・ファブリティウスの自画像

カレル・ファブリティウス【1622-1654】は17世紀のオランダの画家です。


ファブリティウスは、1641年にレンブラント工房に弟子入りしています。

レンブラントの弟子の中でも、特に才能豊かな弟子として知られています。

そんなファブリティウスですが、1654年火薬庫の大爆発によって予期せぬ悲劇の死をとげています。

残念な事に彼だけでなく彼の数多くの作品も、この事故により失われてしまいました。
現存するファブリティウスの作品は10数点です。

今回ご紹介する自画像は、事故当時には収集家のもとにあったため助かりました。

また、カレル・ファブリティウスの資料は非常に少ない為、彼の事を調べるのはとても困難であり、現存する作品から伺い知るアプローチしか出来ません。


今回は、2枚の自画像を観ながら彼を読みといていきたいと思います。

1647-1648年 ボイマンス美術館

まずはボイマンス美術館所蔵のこちらの自画像を観ていきましょう。

こちらの自画像は19世紀にF・J・Oボイマンスのコレクションにあった時には、レンブラント作と考えられていました。

しかしながら1850年代に洗浄された際、偽のレンブラント署名が消えて、ファブリティウスのオリジナル署名が右上部に現れました。

その出で立ちは、労働者の衣服、あるいは画家のスモックであるという誤った推測を招きました。

正しくは、師匠のレンブラントに習いどことなく物語を感じさせる服をまとう自分を描いたものと言われています。

この自画像をファブリティウスが楽しみながら描いたのか、それとも市場に売るために描いたのか今となっては確実な事は言えません。

1654年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

続いてはロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の自画像です。

真っ直ぐこちらを見つめる視線には、力強さを感じます。

また、どこか儚さも感じる事ができます。
これは、これから彼に起こる悲劇を知っているからなのかもしれません。


ファブリティウスは、肩の辺りの革紐でつながれた前後の金属板からなる胴鎧の下に重いタブレットを身に付けています。
頭には羊毛か毛皮の暗い色をした帽子を被っていますね。

兵士を模した格好をして自らを描いています。


この、自画像を兵士の姿で描くというアイデアは、師匠のレンブラントによって1620年代から30年代の初期に広まりました。

それ以降、フェルデナント・ボルやヘラルト・ダウ、ホーフェルト・フリンク、イサク・デ・ヤウデルヴィル、ヤン・リーフェンスなどの彼の弟子達もそれに習ってこぞって描きました。

レンブラントが自身の物語性を強調する為に光と影のコントラストを活用したのに対し、ファブリティウスは構図全体を、静かで平均化した落ち着いた光で満たしています。

色数が少なく、灰色、茶色と黒色の自然な影で大部分が描かれモノクロ的なシンプルな構成によって、人物の力強さを高めています。
少し下から見上げた視線、上目遣いな視線がなんともいえず、冒頭で書いた「儚さ」を感じる1つの要因なのかもしれません。

襟の部分のクリーム色とよろいの銀色のハイライトが際立っています。
写真ではわかりにくいですが、このハイライト部分はインパスト技法が使われていてかなり厚く一筆で描かれています。

その迷いのない一筆は、卓越した技術を示しています。
めっちゃ上手いです。

この技法は師匠ゆずりですね。
レンブラントも得意とした技法です。



それとは逆に、繊細な筆使いも見られます。
この自画像の極端な程の単純さはファブリティウスの成熟した筆使いで表現されています。

例えば、顎と頬に沿った明るい部分などは、ほとんど透明な薄く塗り重ねるグレーズを多様して繊細に描かれています。

本作では、このメリハリが完成度の高い自画像となる重要な要素となっています。


ボイマンス美術館にある自画像が、印象派のような筆使いなのに対し、ロンドンの自画像は滑らかで柔らかな優しい筆使いに移行したのを感じます。



ファブリティウスの作品は普段日本では観ることができませんが、企画展などでファブリティウスの作品が日本に来ることもあります。

その際はご紹介いたします。



黒猫の美術教室 トップページへ戻る